登入「と、言うわけでして、七岸さん……さつきさんのサトラレがもう少しで治癒しそうなんです。勿論そんな長い間ではありません。いえ、年内には解決させてみせます! ですからお父さんお母さん、どうか僕にさつきさんを任せていただけませんか?」
俺はお父様お母様にお会いするときちんと正座をして畳の上に手をつきながらハッキリと自分の言いたいことを告げた。余す所なく全てだ。サトラレについても、俺が七岸さんを愛していることも。何一つ包み隠さない。 ひとしきり話を聞いた七岸夫妻はしばし黙っていたが、やがてテーブルの上に置かれたお茶を手に取ると、ずずっと音を立ててすする。「お話は大変よくわかりました。しかし私どもはあの子が幼少の頃より様々なお医者様や霊媒師の方々におすがりしても、ついぞ治せなかったのですよ? 失礼ながら市川様にご奉公して数日で、治せるというのは少々信じがたいものがございますが」「治せます! 僕を信じてください! あと一歩なんです!」 俺はぐいっと身を乗り出す。はしたないだろうが、やむを得ない。それくらい俺は本気なのである。だ小屋を出た頃には灰色だった曇り空には隙間が生まれ、青い空がぽっかりと顔を見せてくれていた。それはまるで俺たちを祝福しているかのようで、なんとも気分がいい。 冬風は冷たいが陽射しが俺たちを優しく温めてくれる。 「うーん、よかったねさつきさん。活動写真楽しかった?」 「全っ然集中出来ませんでした。誠二様ずっと喋ってらっしゃるんですもの」 「だってしょうがないじゃん。黙ってたら考えちゃうでしょ?」 「……疲れました」 さもありなん。俺は後頭部に腕を回し、空を見上げながらぽつりと。 「うーん、失敗だったなあ。でも心の声は出さなかったね」 「でも」 「ん?」 「私のためにそこまでしてくださる誠二様の姿は、楽しかったですよ」 ちらりとさつきさんを見ると、そこには春の陽射しを思わせる満面の笑顔が見事なまでに咲き誇っていた。 「そうか、そりゃなにより! 腹が減ってきたね。食事にしようか」 「はい! 色々ありますねえ。どれにしましょう」 俺たちは町を寝る歩きながら食べ物屋を見て回る。そば屋、寿司屋、料亭、割烹、大衆食堂、しかしせっかくのランデブーなのだ。もうちょっと品のよいものを……。 「お、洋食屋があるよ。カツレツ食べよう」 「わかりました」 さつきさんも納得してくれたようで、明るい声で頷いてくれた。 ちなみに後ろにはぞろぞろと鈴子さんとそのお付き、さらに新聞社、雑誌社の面々が歩いていて、さながら大名行列である。 彼らも入るのだろうか? 入るんだろうな。満員御礼だ。 「いらっしゃいませー」 案の定、鈴子さんたちも入った。 まあ仕方ない。俺たちは壁際に座ってメニューを見ると、流石に山口はにぎやかな町だけあって東京と変わらないようだ。 俺は店員を呼び、早速とばかりに注文する。 「さて、じゃあカツレツにライスをつけて二人前……」 「あ、待ってください。私、オムレツがいいです」 「オムレツ?」 「はい、実は私、お肉好きなんですけど、卵の方がもっと好きでして……すみません」
かくして、俺とさつきさんの逢瀬、デート、即ちランデブーが始まった。 勿論本来の目的はサトラレ征伐。つまり心の声を出させずにやりきれば俺たちの勝ち、途中でサトラレを発症させ、征伐が失敗に終われば鈴子さんの勝ちだ。 シンプルでいて、それでいてディープ。 俺は深呼吸を一つするとさつきさんを見つめ、力強く宣言する。「よし、ランデブーについては俺に任せてくれ」 「だ、大丈夫ですか?」 「考えない! 考えそうになったらくすぐるから」 「ええええええ!」 何を驚くさつきさん。当たり前じゃないですか。 「ほら行くよ。あ、人力車乗るからパナマ帽をしっかり被ってね」 俺はそう言って先に人力車に乗り込み、さっと手を差し伸べた。 さつきさんは俺の手を取り、席についてからしっかりとパナマ帽を被り直す。 「あ、はい。ありがとうございます」 「うん、かわいい」 「え、えへへ……」 いい笑顔だ。そうでなくっちゃ。 「で、どこに行くんです?」 「活動写真を見よう。来る途中見かけたんだ」 流石にここは工場地帯。こんな所で遊ぶ場所などないからな。にぎやかな所に行かないと。するとさつきさんは目をきらきらと宝石のように輝かせ、声を弾ませる。 「活動写真ですか。私、見たこと無いんですよ」 「お! そりゃ丁度良い。じゃあ活動写真童貞を捨てよう! ん? 女だから処女か」 「そういう言い方しないでください!」 おっと失敗だった。デリカシーが無かったかな。でもお陰で余計なことを考えさせずに済んだからよしとしよう。 俺たちは人力車から降り、わいわいと人の波をかき分けながら小屋の中へと入っていく。まあ小屋といっても結構デカイ建物なのだけど、便宜上な。 壁にかけられているポスターを見て、俺は腕を組みながらふむ、とこぼす。 「さて、演目は……生の輝きか。ちょいと古いな」 「ご存知なんですか?」 「確か二年前に封切りされたもので、日本初の女優を使った演し物なんだよ」 「へえ、女優……。婦人もキネマトグ
さつきさんが顔を真っ赤にして鈴子さんを怒鳴りつけた。 かつて俺がやられたこと。彼女は非常に誇り高く、尊厳を傷つけられるのを何より嫌う大和撫子だ。金を恵んだところで喜びなどしない。そんな軽い女性ではない。 だが、それは当然鈴子さんにもわかっていた。 「別に乞食だなんて、お金をあげたわけじゃないわ。お仕事をあげたのよ。雇用よ雇用。別にタダでお金をあげたりなんかしてない。七岸家の尊厳は傷つけてなくてよ?」 「…………」 「七岸さん、私をナメないで。ちゃんとそういうとこ、知ってるんだから」 にやりと笑う鈴子さん。どうやら彼女の方が一枚上手だったようだ。ぐうの音も出ない手口にやり込められたさつきさんは泣きそうな顔で俺の腕にしがみついてくる。 「こ、この人は……せ、誠二様……」 (こ、怖い……この人、怖いよぅ……) 気持ちはわかる。入地鈴子という女性は怖い。彼女を怒らせると日本では生きていけない。それをありありと証明するかのような強引なやり方。俺は戦慄を禁じ得なかった。 さらに鈴子さんは語る。 「そしてここに住まわせたのも理由があってね、七岸さんのサトラレ、ここが発祥なのでしょう? ここに研究機関を建て、七岸さんの治療を万全に出来るようにとの配慮よ。最初は北樺太で働いて貰おうかなとも思ったけど、政府の秘密情報によると、どうも北樺太購入は出来そうにないのよね。今多くの山師が北樺太は日本領になるんだーって先行投資してるけど、あれは失敗するわ。だからこの地を選んだの」 「……な!」 「ただし、条件がたった一つだけある。それは誠二さん、七岸さんのことを諦めていただけないかしら? そうすれば新聞社の連中を下がらせるわ」 彼女は本当に全てを知っていたのだ。どこで入手した情報だ、なんて聞くのは野暮。彼女に知らないことなどない。日本全てが入地家の庭も同然だからだ。 俺はもう呆れ果てることしか出来ない。 「君はなんでも出来るんだな」 「ええ、出来るわ。なんでも。勿論北樺太を日本領にしろとか、赤軍を倒して親日政権を樹立させ、シベリア出兵を終わらせろとか、そういうことは無理だけど、少なくともこれく
取り敢えずここら辺一体は工場地帯で、あるのは工場と労働者たちの借家、長屋くらいしかない。これではつまらないのでにぎやかな町へと繰り出そう。 そう思って人力車を探していた、その時だった。 「……ん? なんだ、な、なんだ!?」 ぞろぞろとカメラを持ったスーツ姿の一行が俺たちの元へ駆け出してきた。 「え? こ、これは……きゃあ!」 彼らはさつきさんを取り囲み、俺をはじき出してしまう。 「産水新聞の者です」「月刊文鳥の者です」「ちょっと質問いいですか?」「君、市川誠二くんだよね? 市川電機の御曹司の」「その娘について聞きたいことが」 「な、なんだこいつら!?」 こいつら報道関係者か!? でもどうして!? 「ど、どうして!? え、な、なんで!?」 (し、新聞社って、ええ!?) さつきさんも困惑している。そりゃそうだ。全く理解できない――直後。「いとオホホ!」 今回は牛車ではなく人力車ではあったが、やはりというか十二単をまとっており、非常に座りにくそうだった。口元に手を添えて高笑いしているが、バランスを維持するのが大変らしく、体がしきりに揺れている。 「す、鈴子さん……」 「ま、またあの格好……」 俺は慣れたものだが、さつきさんの瞳にはありありと軽蔑の色が含まれていた。 いや、俺もね、山口くんだりまであの格好でやってきたことにかなり思うことはある。 「十二単を着て……。なんであの子はああなんだ? てか、なんでいるんだ?」 「……おかしすぎますよ、あれ。本人恥ずかしくないんでしょうか?」 (凄く歩きにくそう……お付きの人も大変そうだなあ) なるほど鈴子さんの後ろにはお付きと思われるスーツ姿の集団が走っており、なんというか、非常にシュールであった。 「多分平気なんだろうね。俺は恥ずかしい」 俺がそんなことをこぼすと彼女は停車し、ひょいっと飛ぶように地面に降り立った。 「ダメよ誠二さん。あんまりおいたしちゃ」 おいた
その後、さつきさんは矢絣模様の袴に着替え、一緒に外へ出ることになった。 パナマ帽を被り、ブーツを鳴らす様は普段の彼女とはまた違った魅力を醸しだしている。女学生的というか。 ちょっと興奮してきた。 「で、どうするんです? 今回は女中の仕事ではないんですよ?」 七岸さんは後ろを見ながらそう言ってきた。後ろにはお父様、お母様、聖子の三人がいて、心配そうにこちらを見つめている。うりっちもいるな、一応。何故か付いてきた。 俺は前髪をふぁさっと掻き上げ、歯をきらめかせながら答える。 「やることは同じだよ。七岸さん、いや、さつきさんが一定時間何も考えなければいいわけだから。だからこれからやるのはランデブーさ」 「ら、ランデブー?」 「そう、最近じゃ逢瀬のことをそう言うのが流行ってるんだよ? デートとも言う」 「………………は?」 七岸さん――さつきさんの足が止まった。 しかし俺は構わず彼女の手と取ると、思い切り灰色の空に掲げ、高らかに叫ぶ。 「さあ、俺たちの圧倒的なランデブーを見せつけるんだ! 勿論サトラレ征伐はしながら、ね。覚悟しておいた方がいいよ?」 しかしさつきさんは俺の手を振り払い、顔を真っ赤にしながら叫び返してくる。 「自分から煽っておいて何言っているんですか! 頭オカしいんじゃないですか!? だいたい逢瀬って普通人気の無い木陰でそっと手を繋いだりとか、誰も居ない夕方の海を一緒に眺めたりとか……」 「古い古い。そんなの明治時代のランデブーだよ。アメリカじゃ自動車でドライブした後ダンス・ホールで踊り明かし、最高級のレストランでディナーを楽しむそうだよ」 「は、はしたない……っ!」 さつきさんはうつむいてしまった。奥ゆかしい子である――と、思いきや。 (でも、なんか楽しそう……。ワクワクする) なんだい、本音ではやりたがってるじゃないか。俺はぱちんとウインクを一つし、親指を立てる。アメリカンスタイルだ。 「そうこなくっちゃ! それにしても私服のさつきさん、綺麗だよ」 「ふ、ふん世辞者が! 歯の浮くようなことを言ってもダメです
「「…………」」 あんぐりと、お父様とお母様があんこうみたいに口を開いた。 と、廊下からも声が。 「は、はあ!? 何言ってるんですか誠二様!? 頭オカしいんじゃないですか!? (ひ、ひえええええ! わ、私……え、ええええええっ!?) 心の声つきだ。つまり間違いなく、七岸さん。 俺は早速とばかりに手招きする。 「あ、七岸さん。聞いていたの。ささ、こっちに来て」 ふすまが開かれ、ひょこっと顔を出す七岸さん。しかし即座にお父様がたしなめる。 「こらさつき! 下がっていなさい!」 だが、そんなの俺が許さない! 「あ、待ってください。七岸さん。本当は君のサトラレを治したら言うつもりだったんだよ。でもこの期に及んでは仕方ないね。今言おう。俺は、市川誠二は、七岸さつきさんを妻に迎えたい! 入地鈴子さんではなく、君を嫁にしたい!」 (え、え……えええええっ!? わ、私……えええええ!? な、何言ってんの!?) 七岸さんの愉快な反応は置いといて、俺は改めてお父様お母様と向き合う。 「お父様お母様、僕は七岸さつきさんを愛しているのです!」 「日本人ならそう愛してる愛している言うモノではありませんが……」 お母様の旧態依然な突っ込み。 俺は頭を抱えながら叫ぶ! 「ナンセンス! そんな明治時代の脳みそをしていたらこの大正の世は駆け抜けられません! 月が綺麗ですね、とでも言えばいいと言うのですか!? ありえません! 日本は今や五大国の一員! 世界に名を轟かす列強! 脳みそ明治時代では笑われますよ」 夏目漱石みたいな明治の価値観に拘泥した保守的な人間の意見など、このご時世において何の役にも立たん! 俺はどんっと自身の胸を叩き、高らかに告げる。 「西洋ではこうしてハッキリ愛を告げるのが主流なのです。これからの日本もそうなるべきなんです。常に進歩していかねば! 明治時代のカビの生えた常識など通用しない」 お父様は震える手で湯飲みを取り、ずずーっとかなり酷い音を立てながらすする。相当緊張しているらしい。 「なるほど
俺は一端土間を出て、外の空気を吸う。もう空は真っ暗で満天の星々がきらきらと輝いている。月は少し欠けているな。 肌をえぐるような凍てつく寒さが俺の全身にまとわりつくが、不思議と不快ではなかった。冬の透徹した空気が俺の肺に入り込む度に心が洗われるよう。 夕飯まで外で体操でもしようか。そう思って屈伸を始めた時、がちゃりと音を立て、七岸さんが出てきた。もう出来たのか? いや、手に何か持っている。円筒状の物体だ。 「あ、七岸さん。それは?」 「見てわかりませんか? 目が腐ってるんですか? クズ野菜などのゴミ出しです。これは裏に置いておけば
その後、俺は自室に戻ると私服に着替えて勉強を行う。壁にかけられた時計を見ると六時。そろそろ夕飯の時間だ。 七岸さんの様子が気になる。俺は鉛筆を机の上に置くと、ちょっと覗くことにした。 すると廊下でばったりと藤高に出会ったので、これ幸いと訪ねてみる。 「藤高、彼女の仕事ぶりはどうだ?」 藤高はきちんと気をつけの姿勢を取り、ハキハキと答えてくれる。 「はい、誠二様。真面目に丁寧によくやってくれています。いい仕事ぶりですな。女給経験があるのですぐに覚えました」 「それはよかった」 「ただ……やはり」
挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。 市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。 「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」 俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。 七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。 「個室なんですね」 「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」 「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょ
その後、部屋や制服への着替えは後回しにし、まずは他の使用人たちに紹介をすることにした。場所は同じ応接室。使用人たちを呼び寄せる形だ。 「えー、みんな、今日から奉公して貰うことになった七岸さん。さ、ご挨拶を」 「七岸さつきです。それにしても成金趣味丸出しのクソ屋敷ですね。相当甘やかされて育ってきたのでしょう。クソですね」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! 若様に失礼でしょうが! ああもうこんなこと言ったら嫌われちゃうじゃない! 大事な初日なのに!) 顔を真っ赤にさせ、両手で頬を押さえながら泣き叫ぶ七岸さん。 「「「………